四季の雨

昨日、今日と下屋の雪下ろしをした。70㎝位あった。ザラメ雪で重い。古い家なので、少し早めにやっておく必要がある。冬の雨は大変危険である。屋根の雪をずっしり重くしてしまう。昨年に比べるとすっかり自分の心臓が弱ってきたなと思う。急に力仕事をしたせいか、もうふうふうであった。風呂に入ってビールを飲んでいたらラジオから懐かしい曲が流れてきた。「四季の雨」という歌だ。大正3年の文部省唱歌である。昔の歌は詩がよかった。今の歌は歌手がきらびやかで、かわいくて、やたら愛だ恋だとわめいているが、自分のような老人の心には全然ジンと来ない。「愛してる」も値段が下がったものだ。どんながきでも若造でも、ぼんくらでも、「愛している」「好きだ」などという言葉を連発する。そして、女はこんな言葉に酔ってやられてしまう。愛のバーゲンだ。昔の人たちは詩や手紙や和歌で自分の心や想いを間接的に伝えた。ずっと言葉を知っていた気がする。「四季の歌」の歌詞を見ていただきたい。見事な抒情詩であると思いませんか。

 降るともみえじ 春の雨 水に輪を描く 波なくば 煙るとばかり思わせて 降るともみえじ 春の雨
 
 にわかに過ぐる 夏の雨  物干しざおに 白露を 名残としばし走らせて にわかに過ぐる 夏の雨

 折々そそぐ 秋の雨 木の葉 木の実を 野に山に 色様々に 染めなして 折々そそぐ 秋の雨

  聞くだに寒き 冬の雨 窓の小笹に さやさやと ふけゆく夜半を訪れて 聞くだに寒き   冬の雨

# by ikeda-kuniji | 2012-01-16 20:56 | Comments(0)

孫とスケート

 中2の孫娘と娘が東京にUターンで帰り、小3の孫が残った。母親と別れて淋しそうだったのでアイスアリ-ナへスケートに連れて行った。2時間ほど滑り、こちらの方が結構疲れてしまった。後ろ滑りを教えると面白そうに練習していた。この年になるとスケートでスッテンコロリンと転ぶのが一番恐ろしい。僕ぐらいの年齢の老人などスケートをやっている人はほとんどいない。しかし正月の餅ばかり食べて体がなまっているときのスポーツはとても楽しい。アイスアリーナは新潟県でスケートのできる数少ない貴重な施設である。大いに利用すべし。

# by ikeda-kuniji | 2012-01-03 17:09 | Comments(0)

C社会

 あけましておめでとうございます。午前には、お寺に初詣に行くのが我が家の流儀である。元旦の夜のNew Year Concertを聞くのが楽しかった。元旦の新聞では未来を語る記事が必ず出る。今年はどうなるのか。将来の日本はどうなるのかが話題になる。ある新聞はC社会の到来を書いていた。    Creative, Cange,Computer,Connected,Community,こうしたものが国境を越えてglobalに駆け巡るというのである。未来を変化させる国として、これにChina が加わるのだろう。自分はこのうちの幾つを自分のものにでき乗り越えていかれるだろうか。日本人の英知を結集する研究所や企業の再編を急がないと韓国のサムソンや現代自動車に負けてしまう。ますます生きにくい社会が我々を待っている。上を向いて歩こうから自分より苦しい生活をしている人々のことに想いをいたし、下を向いて歩こうで生きるほかないのかもしれない。

# by ikeda-kuniji | 2012-01-02 10:11 | Comments(0)

上越市一番の電飾

日ノ出町にある高橋家の電飾は見事なことでは、この地方で一番である。東京の小3の孫娘に見せてもらうために片付けるのを少し待っていただいて、昨夜
見せてもらいに行ってきた。サンタは2人あって煙突を出たり入ったりの仕掛けがしてあり楽しい。装置は皆で13にもおよび、すべてご主人の手つくりである。これだけの電飾は上越では一番である。奥様の手創りケーキまでごちそうになり、そのうえにお土産までもらって孫は大喜びであった。

# by ikeda-kuniji | 2011-12-29 11:48 | Comments(0)

財津一郎の子供のころ

15日(木)のNHKBSPremium夜の6時からの番組で「財津一郎の子供のころ」を描いた番組があった。僕の少年時代と重なり涙が出てならなかった。九州の田舎町で母の手ひとつで3人兄弟が戦中戦後の苦しい時代を乗り越えた話だ。すいとんの食事。やっと手に入れたジャガイモを煮て誤って鍋をひっくり返してしまう。学校に行っても弁当のない彼はグランドに出て昼休みを過ごす。そこに白いおにぎりを食べている農家の家の2人の友人がいて、それをうらやましそうに木の陰から覗いてみる。そんな光景は僕の学校にもあった。母が病で倒れ、一郎少年はタンスから母の衣類を持たされ食料の買い出しに一人で田舎を回り食料と交換してもらう。「食べ物をあさりに来たんか」と帰りに田舎のガキたちにいじめられる。それを見ていた老婆が、少年を自宅に招き、餅を焼いて食べさせてくれる。進駐軍が10台のトラックに乗って駅前にやってくる。点呼の後で最後尾のトラックがガムやチョコなどの食料を箱から何箱もまいて立ち去る。皆がわっと拾おうとしたとき、そばにいた警官が「拾うな!」と叫ぶ。トラックが去ってからは、拾うのを黙認して去った警官。僕の少年時代の話は後でいつかブログにしたいが胸がつまされた。戦中戦後のこの食糧難を乗り切った世代は我慢強くて食べ物に対して好ききらいがない。苦しかったが、その中から交換に忍耐力という力を神様はくれたのだ。それが踏まれた麦のように強い力となって、戦後の復興を支える。日本人は貴重な精神を体得したのだ。苦しみは人を強くしてくれる。

# by ikeda-kuniji | 2011-12-17 08:48 | Comments(0)
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